「ちょっと頭をぶつけたくらいで大袈裟な」などと軽く考えていては、後で痛い目に遭うかもしれない。

その日は休み明けで、患者さんの多い日だった。やっと診療時間も終わる頃になって、「センセ。新患です」というのはチト厳しい。

73歳のK子さん。昨日、つまずいて転び、左のおでこを壁にぶつけた。大きなたんこぶができ、左眼の周りが黒ずんできたという。が、意識は清明で、複視もなければ、臭覚障害もない。手足の不都合はもちろん、ふらつきも首の痛みもないのだ。とくれば、「大丈夫。ただの頭部打撲だ」と、検査もしないで診療を終えたい気分にもなる。だが、そういうわけにはいかないのだ。

なにしろ、高齢者の脳というのは、外力にやたら弱く簡単に傷つく。なぜか?脳の萎縮は50代以降から始まり、加齢とともに進行する。脳が萎縮すれば、頭蓋骨と脳の間に隙間ができる。頭をぶつければ、隙間が大きい分、脳は大きく移動する。で、もともと加齢により脳そのものも血管も弱くなっているから、脳挫傷や出血を起こしやすいのだ。また、脳の表面にある静脈も傷つきやすく、硬膜下血腫もできやすいのである。

そのうえ、頭蓋骨と脳の間の隙間が大きいと代償作用が働く。出血がかなりの大きさになるまで頭痛や手足の麻痺などの症状が出にくい。ただ、症状が出ると、あっという間に進行して致命的になるのだ。

だから、急いで、頭のCT(コンピューター断層撮影)の検査をする。脳挫傷も明らかな出血も見られない。ラッキーだ。が、これで終わりではない。慢性硬膜下血腫の危険性が残る。1、2カ月して、頭痛や手足の不都合などが起きたら再診するように話す。でも、「次は、もう少し早い時間に」とは言わなかった。忘れたのではない。疲れたのだ。

(いしぐろ脳神経・整形外科クリニック、脳神経外科医・石黒修三:1/30北國新聞掲載)